17世紀後半、ポルトガル王女キャサリン・オブ・ブラガンザがチャールズ2世に嫁いだことをきっかけに、紅茶はイギリス王室へと伝わりました。
王侯貴族の間で“高貴な飲み物”として評判を呼び、次第に上流階級の社交の中心となっていきます。18世紀には「アフタヌーンティー」が登場し、軽食とともに紅茶を楽しむ文化が確立。
紅茶は単なる嗜好品ではなく、優雅な生活の象徴として広まりました。また、イギリスは植民地での茶栽培にも力を注ぎ、インドやセイロン(現スリランカ)での紅茶生産が拡大します。こうして「紅茶=イギリス文化」というイメージが世界的に定着していったのです。
18世紀になると、紅茶は大西洋を越えてアメリカ大陸へも広がりました。当時、イギリスの植民地であったアメリカでは、紅茶は日常的な飲み物として人気を集めます。
しかし、イギリス本国による「茶税法」に反発した市民たちが、1773年にボストン港で東インド会社の茶箱を海に投げ捨てるという事件を起こしました。これが有名な「ボストン茶会事件」です。この出来事はアメリカ独立戦争のきっかけとなり、紅茶は“自由の象徴”としても語り継がれる存在になりました。
その後、アメリカでは紅茶よりもコーヒーの消費が増えていきますが、紅茶は今なお特別な飲み物として親しまれています。
19世紀以降、イギリスの紅茶産業は世界中に拡大し、各国で独自の紅茶文化が花開きました。
フランスでは香りを重視したフレーバーティーが発展し、芸術と融合したサロン文化を形成。ロシアではサモワール(湯沸かし器)を使う独特の飲み方が広まりました。さらに、植民地政策の影響でアフリカやアジアにも茶園が広がり、ケニアやインドネシアなどが主要な生産地となります。
今日では、紅茶は世界中で最も広く飲まれている飲料の一つとなり、国や地域によって異なる味わいやスタイルを楽しむ文化が根づきました。その起点は、かつてのヨーロッパにおける小さな茶会から始まったのです。




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