欧米でのお茶の歴史について

紅茶をはじめ、いろいろな種類のお茶が世界各地で栽培されていますが、もともとのお茶の原産地は、中国南部の雲南省からチベットにかけての山岳地帯です。一説によると紀元前2,000年以前からお茶は飲まれていたといわれていますが、当時は嗜好品としてではなく、不老不死の薬として飲まれていたようです。
その後、4世紀ごろに茶の栽培が始まり、7世紀ごろには緑茶が飲み物として広がりましたが、まだ貴族だけが飲める貴重なものでした。
その後、中国で農業が重視され、お茶の生産が盛んになると、一般市民の間にもお茶を飲む習慣が広がっていきます。現在の紅茶の原型といえる発酵茶※1が登場したのは、10〜13世紀ごろ。しかしどのような経緯で茶葉が発酵されるようになったかは、分かっていません。
このことになると、シルクロード等での交易を通じて、お茶はアジア各地へと急速に広がっていきました。

※1 茶葉の発酵度合いによる、茶の違い
    不発酵…  緑茶
    半発酵…  ウーロン茶
    完全発酵… 紅茶

紅茶がヨーロッパへ
紅茶の歴史が本格的に始まるのは、西欧諸国が大航海時代を迎えた17世紀、中国産のお茶を輸入し始めてからです。1610年ごろ、オランダの東インド会社が中国茶を持ち帰ったことから始まり、その後この不発酵の緑茶を飲む習慣がフランス、イギリスへと伝わっていきました。
紅茶といえばイギリスのイメージですが、当時のお茶はオランダ経由で輸入されたため、1630年代から喫茶の習慣があったオランダに対し、イギリスは1650年代まで、その習慣はありませんでした。これは、当時のイギリスがアジアとの貿易を中国ではなくインドに重点を置いていたためです。今でこそインド産の紅茶は有名ですが、当時のインドにお茶はありませんでした。
 

イギリスでの紅茶文化の確立

17世紀後半、ポルトガル王女キャサリン・オブ・ブラガンザがチャールズ2世に嫁いだことをきっかけに、紅茶はイギリス王室へと伝わりました。

王侯貴族の間で“高貴な飲み物”として評判を呼び、次第に上流階級の社交の中心となっていきます。18世紀には「アフタヌーンティー」が登場し、軽食とともに紅茶を楽しむ文化が確立。

紅茶は単なる嗜好品ではなく、優雅な生活の象徴として広まりました。また、イギリスは植民地での茶栽培にも力を注ぎ、インドやセイロン(現スリランカ)での紅茶生産が拡大します。こうして「紅茶=イギリス文化」というイメージが世界的に定着していったのです。

アメリカと紅茶 ― ボストン茶会事件の影響

18世紀になると、紅茶は大西洋を越えてアメリカ大陸へも広がりました。当時、イギリスの植民地であったアメリカでは、紅茶は日常的な飲み物として人気を集めます。

しかし、イギリス本国による「茶税法」に反発した市民たちが、1773年にボストン港で東インド会社の茶箱を海に投げ捨てるという事件を起こしました。これが有名な「ボストン茶会事件」です。この出来事はアメリカ独立戦争のきっかけとなり、紅茶は“自由の象徴”としても語り継がれる存在になりました。

その後、アメリカでは紅茶よりもコーヒーの消費が増えていきますが、紅茶は今なお特別な飲み物として親しまれています。

近代ヨーロッパと世界へ広がる紅茶文化

19世紀以降、イギリスの紅茶産業は世界中に拡大し、各国で独自の紅茶文化が花開きました。

フランスでは香りを重視したフレーバーティーが発展し、芸術と融合したサロン文化を形成。ロシアではサモワール(湯沸かし器)を使う独特の飲み方が広まりました。さらに、植民地政策の影響でアフリカやアジアにも茶園が広がり、ケニアやインドネシアなどが主要な生産地となります。

今日では、紅茶は世界中で最も広く飲まれている飲料の一つとなり、国や地域によって異なる味わいやスタイルを楽しむ文化が根づきました。その起点は、かつてのヨーロッパにおける小さな茶会から始まったのです。

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